Vol.08 大鹿村野に立って生きるため、身の丈を守り抜く

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大鹿村 延齢草 小林俊夫さん

標高1,000メートルの山を開拓し、小さな牧場を築き上げた小林俊夫さん。酪農、チーズづくり、宿泊施設と、少しずつ形を変え、できることを増やしながら、家族ともにこの地で生きてきた。どんな時代がきても、自分の力で生きるために大切なものを守り抜く。そこには実践によって裏付けされた、ゆるぎない哲学がある。

 手をパンパンと叩くと、「メエー」という鳴き声とともに、白いヤギがあちこちから顔を見せる。村の中心部から車を走らせること20分。標高1,000メートルの地で、小林俊夫さんは小さな牧場とチーズ工房「アルプ・カーゼ」、宿泊施設「延齢草」を家族とともに営む。数頭の牛とヤギ、ニワトリを飼い、米と野菜も自分たちでつくっている。湧き水が流れ、田んぼがあり、周りに人家のない、美しく静かな土地。ここに住みたいという一心で、生き抜くために知恵を絞り、この地でできることを実践してきた。

 「土地の風土を徹底的に知り、味方にする。無理矢理ねじ伏せるのではなく、ここに一番合ったことをするのが大切なんです」

 牧草地を整え、ヤギと牛の乳を搾り、チーズに加工して、工房で販売する。ビジネスモデルがあったわけではなく、すべては自然の流れ。周りの人からは、「よそから乳を買って、もっとたくさんチーズをつくるべきだ」と言われたこともあった。しかし、身の丈の範囲を越えることなく、小さな家族経営の形を頑に守ってきた。「大切なのは、足るを知ること」という俊夫さん。何頭を飼うかではなく、何頭で生きるか。それが自然とともに生きる、ということなのだ。

 中学卒業と同時に村を出て、会社勤めをしたが、25才の頃に妻の静子さんとともに帰郷。70年代の高度成長の時代にあって、父から譲り受けた一町歩の山を開拓し、酪農を始めた。木を伐採し、牧草地にするだけで精一杯の過酷という日々。しばらくは自ら建てた3坪の小屋で電気も水道もない生活を送った。「電気のない2年間のランプ生活が、今の自分たちの生き方を形づくっている」と静子さん。「意志があれば何だってできる。〝野に立つ”というのは、そういうこと」と俊夫さんは続ける。その言葉には、骨太な二人の生き様が現れている。

 当初は乳を出荷していたが、草主体の飼料で飼育している乳をもっと生かそうと、87年に本場アルプス・スイスで研修。山に適したゴーダタイプのチーズづくりを学び、その後はこの土地の風土にあったチーズをつくり続けてきた。
 スイスは手入れの行き届いた美しい国。河川や道路、水力発電の送水管に至るまで、環境と景観に配慮され、どの家も窓辺に花をつくっている。その美意識の高さに、俊夫さんは衝撃を受けた。
 「『なぜそれほど一生懸命に花をつくるのか』と尋ねたら、『自分の住むところをきれいにして、心地よく住みたいから』とただそれだけ。国民一人ひとりがそうなら、国全体がきれいになる。これだと思ってね」
 帰国後、村の公民館新聞の編集に携わるようになった俊夫さんは、村にスイス人の考え方を広めたいと、「街道を花で彩る人々」という特集記事を企画。道行く人に楽しんでほしいという思いで、家の外に向かって花づくりを行う人たちを一挙に紹介した。その紙面は村中の反響を呼び、それ以降、村人は競って花を植えるようになったという。俊夫さんの思いは、確かに届いたのだ。

 チーズ工房の経営も軌道に乗り始めた95年、俊夫さんの心を大きく揺さぶる出来事が起こる。母校である中学校の取り壊しが決まったというのだ。敗戦直後、子どもたちによりよい教育をしようと村人が苦心して建てた木造校舎。行政で残せないなら、どうにか自力で残したい。俊夫さんには使命感のような思いが沸き上がってきた。「自力で残すと決断してからは、家を一軒建てるくらいの借金をして、本当に苦労しました。いろんな人に助けてもらったおかげで、今があります」
 思いを同じくする村人たちの協力を得て、全体の4割を移築。学校の歴史を多くの人に知ってもらおうと、97年に宿泊施設として再生した。新鮮な野菜に搾りたての乳、自家製チーズ、地卵など、山の幸を生かしたもてなしは長女の野や おい花さんが担当。唯一無二の味わいにリピーターも多い。

 誰かが何かいいことを始めると、多くの人が賛同して力になってくれる。大鹿村には、そんな流れが古くからあるそうだ。「人の思いを大事にする気持ちがあれば、時代が変わってもこの村はあり続けることができる。中学校の移築だけでなく、『大鹿歌舞伎』や、権力者から村人が守り抜いた国の重要文化財の『福徳寺』にも同じ精神が受け継がれています。この村には今ある現象からは見えない、もっと深く根付いた美しさがある」

 自然の声を聞きながら、自分の力で生活を守る。そして、志ある人々による村の未来を見据えた行動を、周りが我が事のように支える。地をしっかりと踏みしめる俊夫さんの生き方は、大鹿村の中にあって、なお静かに熱く、圧倒的な迫力で私たちの前に迫っている。

TEXT:Atsumi NAKAZATO / PHOTO:Kenta SASAKI / ENGLISH TRANSLATION:Yuiko HOSOYA, Chika NAKANISHI / DESIGN:EXAPIECO, INC