Vol.25 湯布院塚原地区「ビビビ!」ときた塚原で宿を続けて20年

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オーベルジュ「フォレスト イン ボン」オーナー 渡辺理さん

温泉街で知られる大分県由布市湯布院町。別府市との境にある由布岳の北側に広がる塚原地区は、標高600mの高原地帯に位置する。なだらかな丘陵と緑豊かな牧草地が広がるその景観は、訪れる者を魅了してやまない。塚原高原は鬼が作ったとされる『九十九塚伝説』や『為朝伝説』など古来より様々な言い伝えのある土地で、4世紀にはすでに集落があったことが、鎮守・霧島神社の石碑に刻まれている。

湯布院町塚原地区。大分県における畜産発祥のこの地は、標高1583mの由布岳を望み、初夏には、青々とした草原の上を爽やかな風が吹き抜ける牧歌的な風景が広がる。湯布院から車で10分、別府市までも30分と便利な場所にありながら、手付かずの雄大な大自然が残る塚原地区は、周囲の集落から孤立した立地ゆえ、昔から行政頼みでない住民主体による地域づくりが行われてきた。
もともと農村地だった塚原が観光地として注目されてきたのは、ここ20年ほど。この景観に惚れ込んで移り住んできた人々が中心となって観光協会が設立され、「塚原高原」という名前が知られるようになった。三大薬湯の一つ、塚原温泉は古くから湯治場として栄えてきた全国的にも有名な秘湯。活火山・伽藍岳(がらんだけ)の中腹より自噴する源泉を利用した100%かけ流しの湯。その泉質は強い酸性で、金属の腐食がとても早い。

塚原は141世帯、人口340人ほどの小さな集落だが、大きく分けて3つの暮らしが混在する。先祖代々、この地に生まれ農業を営んできた人々の暮らし。終戦後の開拓で酪農を始めた人々の暮らし。そして、1980年代以降、この地に魅了されて移り住んできた、観光を営む人々の暮らし。それぞれ、歴史も背景も異なるが、住民がこの大自然の恩恵を享受できるのは、昔から脈々とこの土地を守ってきた先人たちの努力の賜物といえる。
遮るもののない広大な土地。ここに目を付けた事業者が新たな事業を興そうとする度に、地区内では賛成、反対に意見が分かれ、地道な対話による折り合いがつけられてきた。政治的な意見は違えども、その根っこにあるのは、「塚原の景観を守り、持続可能な発展を目指す」という共通の理念だ。
「日本で最も美しい村」連合に塚原地区として加盟したのが2011年。多くの市町村が行政単位で加盟しているのに対し、塚原は数少ない「地域」としての登録で、その人口は「日本で最も美しい村」としては最もミニマムな集合体だ。登録されている地域資源は、「雄大な農村景観」と、450年前から続く「甘酒祭り」。その年に出来た新米で甘酒を造り、五穀豊穣を祈る大切な行事だ。
秋になれば高原一帯にコスモスが咲き乱れ、冬になれば静寂な白銀の世界に包まれる。季節は巡っても、人々の心にはいつも霊峰由布岳がそっと寄り添っている。

偶然訪れた塚原に引き寄せられるように移住して21年。静寂な森のなか、「北欧」をテーマにデザインされた宿とフランス料理を提供する。「景観を活かした観光」で塚原を盛り上げる若手の一人だ。

森のなかに静かにたたずむ、1日3組限定の宿とフレンチレストランを併設したオーベルジュ。「ミシュランガイド大分2018」では三ツ星ホテルに選ばれた。
 鳥のさえずりと風の音に包まれたシンプルなステイが楽しめる。母屋のレストランでは、世界的に有名なフレンチ「ポール・ボキューズ」で修業した湯布院出身のシェフを迎え、目にも舌にも楽しめるフレンチがいただける。
 福岡出身の渡辺さんが縁あって塚原の地に移住してきたのが今から20年前。当時、福岡で商売をしていた。結婚して子どもが生まれ、仕事も軌道に乗り始めた頃だった。ゆくゆくはペンションをやりたい。だが、それは子どもが巣立ってからの自分の「夢」として。
 それが20代半ばにして、両親の友人だった前オーナーの所有する母屋を引き継ぎ、まったくの素人から宿を運営することに。「塚原の地を訪れ、ビビビと来たんです。賑やかな湯布院でなく、この塚原でやりたい、そう思いました」。すぐに奥さんを説得し、建物を購入。「今しかない、とすぐにお店をたたんで移住しました」。

ここ塚原地区は、もともとは農村地。渡辺さんのように、惚れ込んで移り住んできた人が商売をはじめたのが現在の観光地としての塚原高原だ。古くから湯治場として栄えた塚原温泉は全国的にも珍しい泉質で多くの湯治客が訪れる。  移住してきた20年前、住民との接点はあまりなかったが、子どものPTA役員などを通じて、徐々にかかわりが増えていった。年月をかけて、地域活動などにも積極的に参加することで、少しずつ地域の一人として受け入れてもらえるようになった。  「この塚原の土地と自然を守ってきたのは、昔から住む方たち。自分もその一人としてともに汗を流し、地域に貢献する気持ちでいます」
「とはいっても塚原のどこを掘っても温泉が湧く土地ではなかったことから、このあたりを『塚原温泉』でなく、『塚原高原』と呼ぶようになり、徐々にメディアに取り上げられるようになりました」

 これまでも、新旧を問わず、すべての住民が一丸となって「安心して暮らせる塚原」を目指し、市や県に要望を出すなど、その実現のために働きかけてきた。
 「『日本で最も美しい村』連合に加盟した時も、スタートは一緒です。古くからの農業と新しい観光が少しずつ接点を持って、お互いに協力し合いながら、目指す地域づくりのために行動を起こしてきました」
 今後のテーマは「塚原の情報発信」。「地域内にお金が循環するシステムを確立させることと、塚原の景観を活かした観光戦略を練り上げていきたい」と意欲を見せる。
 この先、敷地内に新たな母屋を建て客室を増やす計画もある。
 「社会人と専門学生、二人の娘が宿の運営にも興味を持っているのが嬉しいですね」

TEXT:Hideko TAKAHASHI / PHOTO:Hiroyuki TAMURA, Akimi GOTO / ENGLISH TRANSLATION:Yuiko HOSOYA, Chika NAKANISHI / DESIGN:EXAPIECO, INC