Vol.33 中川村30年かけて「理想の農園」をつくる

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大島農園 大島太郎、歩さん

標高600メートルの畑で、農薬にも化学肥料にも頼らない野菜づくりをはじめて16年。 大島太郎さん、歩さんは理想の野菜を育てるだけでなく、 地域も含めた「理想の農園を育む」ことを当初から目標に掲げてきた。 食べる人も、作る人も元気に。野菜とともに、地方の可能性を全国に届けている。

「朝がいちばん、野菜が輝いているんですよ」。そう言われて早朝6時、まだうっすらと霧のかかる畑を訪ねた。やわらかな陽が注ぐなか、食べごろを迎えているのは大根、人参、レタスなどおなじみの野菜だけでなく、フィノッキオに紫ブロッコリー、トレビスとじつに多種多様。それらがモザイク模様のように連なって、美しき里山の風景を描き出していた。

 信州大学農学部を卒業後、各地で学びを重ねた大島太郎さんが妻の歩さんとの結婚を機に中川村へUターンし、大島農園を開園したのは2004年。「子どものころから農薬が体質的に合わなかった」という大島さんは化学合成農薬や化学肥料に頼らない栽培を行うため、3反の畑から農園をスタートさせた。2010年には法人化され、現在作付面積は5ヘクタール、栽培する品種は100種以上に。標高約600メートルの畑で有機質肥料を使った土づくりを行い、健やかに育んだ野菜は、プロの料理人を含む県内外多くのファンに愛されている。

 大島さんが農家を志したのは、じつはそう早い時期ではない。大学で農学部に進んだのも「海外に行けるチャンスがあるかなと思って」。しかし、調査地として出向いた三重の農園で農民たちの声に耳を傾けるうち、その佇まいや語られる言葉に魅かれていった。

「調査研究だけでは、彼らの最前線には決して追いつけない。そう気づいたとき、ならば自分が農業をと考えるようになりました」

 妻の歩さんとは、その後研修生として働いていた愛媛県明浜町の「無茶々園」で出会った。無茶々園といえば、柑橘類の有機栽培を柱に海の漁師たちと連携したり、福祉事業を展開したりと土地の課題をまるごと事業化しながら成長を遂げてきた全国有数の地域法人。二人はそんな先輩たちの取り組みにも大きな影響を受け、農園の指針を立ててきた。

 冒頭で紹介した「30年かけて理想の農園をつくる」とは、ウェブサイトにも掲げている大島農園の目標だ。では彼らにとって「理想」とはなんだろう。大島さんはこう話す。

「まず、農薬や化学肥料に頼らない栽培で安定的に野菜を生産することが基本。でも単に経済行為としてだけ農業を捉えるのはあまりにも面白みがありません。農を生業とし、農的暮らしを私たち自身が楽しみながら暮らし、お客様やスタッフ、地域のみなさんともいっしょになって、元気になれる地域を作っていけたらと考えています」

 そしてビジョン実現の進捗はというと、「16年目だし、ちょうど半分くらいかな」と大島さん。歩さんは「いつまでたっても試行錯誤。『これでいい』って思えた瞬間がない!」と明るく笑う。きっとそれは、「まだ半分」でも「まだ正解が見えない」でもない。着実に今を重ねる、その積み重ねこそが未来をつくっていくことを知っている二人は、今日も思索と実践を繰り返し粘り強く前に進むのだろう。思い描く豊かな農的暮らしを、未来へとつないでいくために。

TEXT: Mikiko TAMAKI / PHOTO: Kenta SASAKI / ENGLISH TRANSLATION: Yuiko HOSOYA & Chika NAKANISHI / DESIGN:EXAPIECO, INC