Vol.33 中川村山を開いたら、人が集った。笑顔が生まれた

  1. HOME
  2. 季刊 日本で最も美しい村 WEB
  3. 山を開いたら、人が集った。笑顔が生まれた
信州なかがわ木の駅プロジェクト

山を整備し、地域通貨で経済も元気に。そんな「木の駅」の取り組みが中川村ではじまって2年目。地域の山には少しずつ、人々の集いの場が生まれている。もはや地方のお荷物のように扱われて久しい山林だが、ここではこんなにも楽しげに、山に森に関わろうとする人たちの笑顔があふれている。

 それは絵に描いたような、多世代交流の現場だった。中川村の北東部・美里地区にある木材集積場「ウッドストック」にこの日、集った面々は、80歳近いベテラン林業家から木工作家、20代の狩猟女子まで16名。チェーンソーの使い方を教わる人もいれば、木材の活用方法に夢を膨らませる人、自分が手を入れている森の相談をする人もいて、それぞれがいきいきと、それぞれの楽しさややりがいをもってこの場に関わっているのが伝わってきた。これは間違いなく、木の駅がなければ見られなかった光景。そう思うと胸が熱くなった。

 木の駅、という名を聞いたことがあるだろうか。「地域の山林から林地残材や間伐材を受け入れ、支払いは地域通貨で行う」という仕組みで、荒廃する地方の山林に活気を呼び込もうと全国で広がりつつある取り組みだ。2009ごろからスタートし、現在活動する木の駅は80カ所あまり。そのほとんどが各地域の有志が立ち上げた自主組織によって運営されている。

中川村がこの取り組みに着目したのは、2017年ごろのこと。「信州なかがわ木の駅実行委員会」会長で林業家の宮澤優人さんは、当時をこう振り返る。

「ちょうどそのころ、村の主導で村の木を使った木質バイオマスについての検討委員会が立ち上がっていたんです。そんなとき、全国で木の駅プロジェクトをコーディネートしている丹羽健司さんが近くの街で講演会をするらしい、と聞きつけ、委員会のメンバー数名で参加したのが始まりですね」

 これは社会実験。失敗してもいいから、とにかくやってみよう。コーディネーターとして村に招いた丹羽さんのそんな呼びかけも手伝い、地域の山主をはじめ山に関心を抱く若手世代、地元建設会社の役員まで、徐々に人が集まってきた。そして早くも2018年10月には開駅式が執り行われたが、実現を支えたのはなにより、「行政や地域のフットワークの軽さだった」と宮澤さんは話す。

 まず村は、宿泊施設「望岳荘」の大浴場の湯を沸かすためにと「薪ボイラー」の導入を決定。これにより、受け入れた材の主な購入および活用のめどがたった。そして、木を出す側のメリットである地域通貨の使用先は、地元商工会を代表した参加者でもある商工会会長の桃沢傳さん、そして木の駅副会長の宮下進吾さんらの呼びかけにより、村内の飲食店やクリーニング店、自動車整備会社など24店舗がこれに賛同。すぐに協力を表明した。

「立ち上げ当初からこれほどまでに地域通貨の使用可能店舗が多い例はなかなかないと、丹羽さんにも驚かれました」(宮澤さん)。軽トラ約一杯分の木の搬出で、地域通貨の里山券「イーラ」の2000〜3000イーラ分(1イーラ=1円)を発券。全国の木の駅で合言葉のようになっている「軽トラとチェーンソーで晩酌を」は、早速ここでも現実のものとなったのだ。

 まず村は、宿泊施設「望岳荘」の大浴場の湯を沸かすためにと「薪ボイラー」の導入を決定。これにより、受け入れた材の主な購入および活用のめどがたった。そして、木を出す側のメリットである地域通貨の使用先は、地元商工会を代表した参加者でもある商工会会長の桃沢傳さん、そして木の駅副会長の宮下進吾さんらの呼びかけにより、村内の飲食店やクリーニング店、自動車整備会社など24店舗がこれに賛同。すぐに協力を表明した。

「立ち上げ当初からこれほどまでに地域通貨の使用可能店舗が多い例はなかなかないと、丹羽さんにも驚かれました」(宮澤さん)。軽トラ約一杯分の木の搬出で、地域通貨の里山券「イーラ」の2000〜3000イーラ分(1イーラ=1円)を発券。全国の木の駅で合言葉のようになっている「軽トラとチェーンソーで晩酌を」は、早速ここでも現実のものとなったのだ。

 一方、「『とにかく一度会議に来てみて』、なんて言われて参加してみたら、いつのまにか面白くなってきてしまって」と話すのは、村内で生家の古民家を守りながら体験の宿「古民家 七代」を営む米山永子さんだ。山仕事は未経験だったが、木の駅プロジェクトが開催する「山しごと手習い塾」への参加や共同搬出会「出そまい会」などをきっかけに、米山さんが山へ行く機会はずいぶん増えた。また米山さんは、木の駅の取り組みの一つとして、80歳以上の村の先輩たちにかつての山の暮らしや山の知恵を聞き記す「山里の聞き書きプロジェクト」の運営も担っている。「聞き書きに関わったことで、おじいさん、おばあさんたちが語る当時の山が今も地続きでここにある、ということがリアルに実感できたんです。話してみたかった人、聞いてみたかった話にどっぷりと浸って、この土地とさらに仲良くなれた気がします」

 森に関わる仕事がしたいと、京都から移住を果たしたのは齋藤真吾さん。大学では工学を学んでいたが、木造建築の奥深さを知るなかで木という素材そのものに関心を抱くようになっていったという。現在は念願叶い林業を生業にしているが、木の駅にはまた別の魅力があると話す。 「山に関わる仕事って危険を伴う分、どうしても閉ざされた世界だと思うんです。でも木の駅は、プロじゃなくても集まれる。これからやってみたいという人はもちろん、ただ山に興味がある、というくらいの人だって十分活躍できることがある。そうやってみんなで山の話ができる場があるということに、大きな可能性を感じています」

 これからは、ボイラー以外の木材の活用も探ってみよう。次のイベント「森林フェスティバル」の準備も進めよう。何より木の駅そのものを、どうやってうまく回していこうか。課題は尽きないが、課題があるほどにまた人々は語り合い、人が関わるすき間ができる。新しい人もやってくる。「まだまだ運営メンバーは少ないし、何事も始めるより継続するのが大変なこと。でも、みんなで集まるとなんだかんだでやりきれちゃう、その繰り返しだね」と笑う宮澤さん。もちろんご苦労は多いだろうと想像しながらも、会長として、そして山を守り継ぐ林業家として、その笑顔には未来への決意が宿っているように見えた。十年後の木の駅、そしてこの村の景色に出合うことが、今から本当に楽しみだ。

TEXT: Mikiko TAMAKI / PHOTO: Kenta SASAKI / ENGLISH TRANSLATION: Yuiko HOSOYA & Chika NAKANISHI / DESIGN:EXAPIECO, INC