Vol.29 十津川村「むこ(婿)だまし」が村でずっと続いてほしいのう

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生産グループ「山天(やまてん)じゃあよ」

 在来種トウモロコシ「十津川なんば」とアワの一種「むこだまし」などの雑穀を作り続けてウン十年。姉妹のような三人に集落支援員の鈴木さんが加わって、量産できない固有種を守る農業をしています。

 広大な十津川村には、7つの区、55の大字(おおあざ)、200あまりの集落が点在する。今回お邪魔した山天(やまてん)集落はそのうちの一つ。急な斜面を上がっていくと、周囲を山にぐるりと囲まれた小さな集落が広がる。標高約300メートル。訪れた人が「まるでマチュピチュのよう」と驚嘆するのも頷ける。ここにわずか5世帯7人が暮らす。

 生産グループ「山天じゃあよ」は平均年齢83歳の女性たちのプロジェクト。最年長にして一番元気はつらつな松葉俊子さん、愛らしい表情とエプロン姿がお似合いの中南百合子さん、「私が一番、元気ないわ」と言いながらもお話し上手な最年少の泉谷和子さん。そこに集落支援員として5年前、愛知県刈谷市から移住してきた30代の鈴木大介さんが加わって2年前に発足した。「山天じゃあよ」とは「山天だよ」という意味。語尾の「じゃあよ」はここ十津川村の方言。語尾に「~のう」「~じゃあ」とつける特徴を鈴木さんが印象的に感じ、親しみを込めてつけた。

 もともと、3人は20代のころ山天地区に嫁いできた。集落は違うものの3人とも十津川村生まれ。山の中腹の畑で、在来種トウモロコシ「十津川なんば」や雑穀など4種類と、お茶や八つ頭、それに自分たちが食べる野菜を作る。配偶者は既に先立ち、子どもや孫も村外で暮らしている、という点も一緒。3人集まれば、まるで女子会のごとく賑やかなおしゃべりに花が咲く。「姉妹以上に仲良し。炊いたおかずをおすそ分けし合って、会えば他愛ない話で笑い転げる。今はみんな一人暮らしだから有難いのう」

 現在、生産している「十津川なんば」も「むこだまし」も、もともとこの山天地区でのみ作られてきた在来種。餅用の粟の一種「むこだまし」は変わったネーミングだが、俊子さんによると「普通の粟の粒は黄色だけど、これは白色。その昔、もち米のなかった時代、大事な婿さまが米の餅と騙されるほどだった。そこから『むこだまし』の名前がついた」のだとか。

 彼女たちが生産を手がける「むこだまし」は、5年ほど前から村内のホテル「昴(すばる)」に出荷され、宿で出される名物料理の一品として珍重されている。「ほしい人はいても作り手が少ない。量産したくてもできないのが現状です」と鈴木さん。

 ちなみに私たちが普段、口にする野菜のほとんどがF1種と呼ばれる種で作られた野菜。生育が早く、食味の改善もしやすい、均等な形に作れることから、スーパーに出回っているほとんどがこのF1種によるものだ。対する在来種は、生育が遅い、形が不揃い、量産できない、などの事情から市場に出すには向かないが、野菜本来のクセや力強さが味わえる。また、種の自家採取が可能なので、循環型農業が実践できる、などのメリットが挙げられる。

 今のトウモロコシは品種改良されて甘いが、「十津川なんば」は、甘みが少ないのが特徴。かつて白米が満足に食べられなかった時代、焼いたり、おかゆの中にかさ増しして食べたという。

 「あの頃はサツマイモが主食やったん。弁当にも持っていって、学校で炊いてくれたの」。「イモばかりで、かなわんかった。今でもサツマイモが大嫌いでの」。食にまつわる思い出話が次々と飛び出してくる。その昔、村の男たちの多くが「山仕事」に就き、子どもも貴重な労働力だった時代。  「学校へ行っても、山の開拓、山仕事ばかりなろうて、たった1時間しか勉強できんかった。もっと勉強したかった」

 山と共に生きてきた十津川人らしいエピソードに、勉強さえも満足に叶わなかった悔しさが言葉の端々ににじむ。

 鈴木さんと彼女たちの繋がりは、今から4年前、毎年11月に村で行われる文化祭がきっかけ。十津川は昔から神事が多く、神様にお供えする餅作りの原料として雑穀を提供していた三人から、なんばの粉をもらった鈴木さん。「この粉で何かお菓子が作れないか。PRできないか」と相談された。そこで鈴木さんが試作したのが、なんばの粉に砂糖とふくらまし粉を混ぜて油で揚げたジャマイカの甘いお菓子「フェスティバル」。沖縄のサーターアンダギーに似たそのお菓子は好評で、「文化祭で売って、雑穀の魅力も広めよう」ということに。とはいえ、イベントで食べに来てもらうにはハードルが高い。「だったら家庭でも楽しめるようになんばの粉を米粉と合わせたパンケーキミックス粉を売り出すことにしました」と鈴木さん。ミックス粉は今年の春から村の道の駅で販売を始めた。「売れ行きはなかなか好調です。量産できないのでなくなったら少しずつ補充しています」

 村へ移住する前、20代の頃はレゲエ好きが高じて、ボブ・マーリーの故郷であるジャマイカで暮らした鈴木さん。料理人を志したこともあり、食への関心は人一倍。「お母さんたちに畑の一部を借りて自分でも雑穀の栽培にチャレンジしています。ここは自分にとって一番の活動フィールド」と笑顔を見せる。

 今後は、村内で後継者を増やしていくこと、そして、代々、受け継がれてきた山天地区の雑穀と固有種を今後、どう絶やさずに残していくかも大事な課題。そこにかける思いは4人とも同じだ。「お母さんたちには、この先も元気でずっと作り続けてほしい。自分も早く一人前になって、村内に後継者を育てたい」そう鈴木さんが言えば、「私らはもう、絶対無理や。先、見えてるわ(笑)。私ら、ようせんだら(私たちがダメになったら)、村内で若い人に受け継いでほしいのう」

 「助け合い、支え合い」の十津川魂。先人から次世代へ受け継がれてほしい。

TEXT: Hideko TAKAHASHI / PHOTO: Hiroyuki TAMURA / ENGLISH TRANSLATION: Yuiko HOSOYA & Chika NAKANISHI / DESIGN:EXAPIECO, INC